皆さん初めまして。
突然ですが吃音という言語障害を知っていますか??
話し中に同じ音を連続して発したり、音を発することができなくなる発話障害です。
連発、伸発、難発と主に3種類の症状が見られます。
お、お、お、お、おはようございます。と初めの音を連続して発する。(連発)
おーーーはようございます。と言葉を引き延ばす。(伸発)
・・・おはようございます。と最初の言葉がなかなか出てこない又は出せない。(難発)
原因ははっきりとは解明されていませんが、たまに日常生活に支障をきたして仕事や学校で理不尽に怒られたり笑われたりします。
私も吃音当事者であり連発と難発の症状2つを自覚しており、小学校3,4年生ごろから話し方に違和感を感じるようになりました。
特別小学生のころは日常生活に影響はなく、さほど気にしてはいませんでしたが中学生以降だんだんと影響が出始め、人と接することが好きではあったものの社会人になって選んだ道は人と接することの少ない仕事でした。
しかし30代になった今、やはり諦めきれない部分もあり、人と接するお仕事にチャレンジしてみようと営業職に転職をしました。
前職はとても居心地がよく、辞めるのは非常にもったいない。吃音によるストレスもほとんどなかったんです。
でもこのまま吃音から逃げ続けてやってみたいことにチャレンジしないのももったいない。
めちゃくちゃ悩みましたね。
営業と言っても具体的な業種が決まっていなかったので、国家資格をいくつか勉強して宅建という資格が取れたので、不動産営業をやっています。
これから営業のお仕事を通じて、吃音で仕事に支障が出たときの状況をブログに残し、少しでも多くの方に吃音のことを知ってほしい。
どのように吃音と付き合い、どう対策を講じたのか、自身の吃音の克服にも繋げられたらと思いブログを開設しました。
あまりにも社会への認知が低すぎて、今もたくさんの当事者が助けを求められる先がなく理不尽に苦しんでいます。
同じ吃音当事者様の励みにもなれれば幸いですのでどうぞ、よろしくお願いします。
難発という症状が特に苦しいため、ここでは吃音=難発と定義して説明してみたいと思います。
中学に入ってすぐの数学の授業で先生に名前を呼ばれ、40人ほどのクラスの真ん中で席を立ち、足し算の結果をなんていうか質問をされました。
答えは和です。たった1文字、わ!って言えば終わりなんです。
でもなぜだかわからない、わ、って言おうとすると息が吐けないんです。
これは感覚的な話しですが、息を吐かずに音を出そうとしてみてください。
言葉が詰まって口の形は作れても、音は発せられないかと思います。
わ!って言いたいのに言えないから私は諦めて「わかりません」と言い着席しようとしました。
すると先生はさらに質問を深堀りしてきました。
黒板に書いてある、和、差、積、商を指さして、「引き算は差、掛け算は積、割り算は商、あとは??」と聞かれて。
普通に話し聞いてれば誰でも答えられますね。
わ!ですよ。そんなの最初から分かってはいますが息が吐けずにどう答えればいいのでしょうか。
それでもはっきりと「わかりません」、と答え着席しました。
先生から「お前話し聞いてるか?と突っ込まれ、まあいいや、答えは和だな」と先生自身が答え終わりました。
「先生!!言葉が出せないんです。」と答えればいいですか?
40人いるクラスの真ん中で席を立ちながら。
それとも息が吐けるようになり、言葉が出せるようになるまで立ち上がった状態で待つか。
いつ、言葉が出せるようになるか分からない、それは10秒後か、30秒後か、2分後か。
皆さんならいつまで耐えられますか??
これは私の実体験であり一つの事例ですが、吃音にはこうした問題に直面することがあります。
お前は人の話しを聞かないやつだって、同級生の間で噂になってましたね。
それから小学生時代から感じていた違和感が恐怖へと変わり、また同じ目にあったらどうしようと吃音に対する不安が強まっていき、ますます症状が悪化していきました。
クラスメイトの名前を呼ぼうとすると息が吐けなくなり「お前やあなた」と呼んでしまう。
助けてくれた同級生に「ありがとう」と言おうとすると息が吐けなくなりお礼すらも言えない。
しまいには「名前があるんだから名前で呼んでよ、お前って言わないで」って言われたり。
それに対して「ごめん」とも言えない。
明らかに自分の体が正常に機能してない恐怖に駆られました。
自分どうしたんだろうって。
自分の体の異変に対しての恐怖だけでも精一杯な中、同級生たちとのコミュニケーションの中で理不尽に笑われたりからかわれていくとても苦しい中学3年間でした。
ちなみに和は言えないのに、分かりませんなら言えるというのも不思議なんですよね。
詰まっているのは、わ、という文字ではなく、和、という単語だと推測されます。
ラーメン屋さんで注文をする時、味噌ラーメンって言おうとすると息が吐けなくなるのに、なぜか味噌野菜ラーメンなら言えたりするんです。
詰まっているのは、み、ではなく,味噌ラーメン、という単語なんです。
脳のなかで味噌ラーメンという単語を認識していることで何らかの障害が起きている、そんな感覚ですね。
言葉が出せなくなった場合、対策はあるにはあるのですが、完全ではありません。
各々対策方法はさまざまだとは思いますが、代表的なものでは同じ意味になるように別の言葉に言い換えるのが吃音当事者の方が最も使ってる対策方法かと思われます。
来週水曜日空いてる?→2月12日空いてる?
来週の天気ずっと雨らしいよ。→来週ずっと天気悪いらしいよ。
今、3時だよ。→今15時だよ。
どこで息が吐けない感覚に陥ってるか分かりますか?
経験した人じゃないとなかなか難しいですが、吃音当事者の人たちは伝えたいことをこのように言い換えて会話を成立させています。
では次のような場合はどうでしょう。
私の名前は、「田中太郎」です。
住所は「東京都千代田区123-456」です。
「」してあるところで言い換えてみましょう。
私の名前は、「佐藤太郎」です。
住所は「東京都渋谷区123-456」です。
言い換えると会話が成立しませんね。ただの嘘つきです。
名前を聞かれたり、住所を伝えなければならないこのような状況は言い換えの聞かない、避けては通れない単語が出てくるため吃音当事者にとっては最も厄介なシチュエーションだと言えるでしょう。
私も昔アルバイト中にかかってきた電話に出て、自分の名前が言えず、言い換えもできずにどうしようもできなくなり電話を切ったことがありますね。
隣にいた店長に「誰からの電話だよ」とぼろくそに怒られた記憶があります。
怒られて当たり前ですね。笑
突然、「店長電話変わって!!」なんて助けを求められればいいのかもしれませんが。
高校に入って中学とはクラスや学年がガラッと変わり環境も大きく変わったことで吃音に対する意識が少しづつ弱まりあまり気にならなくなってはきました。
しかし依然として息の吐けない感覚に陥る症状はなくなっておらず、相変わらずクラスメイトのことをお前やあなた呼ばわり、ありがとうも言わないなど根本的なものは何も変わってはいませんでした。
人生初めての恋人も、ゆり、という名前でしたが、好きな人の名前も言えないことが多かったですね。
吃音当事者には、苦手としている行を持つことが多いようです。
私はや行が苦手なタイプです。
恋人の名前も、ゆ、であり私の下の名前も、よ、から始まり、まあ苗字で呼んだりできる状況であればさほど問題は起こらないのですが。
苗字がや行であれば、下の名前で呼ぶなど。
仕事だと下の名前使うことってほとんどないんですよね。
取引先に電話して下の名前で「〇〇様いらっしゃいますか??」って聞いたら絶対に変ですよね。
「お名前お聞きしてよろしいですか?」と聞かれ、自分の名前が答えられなかったら、え、自分の名前分からないの!?ってびっくりされますよね。笑
昔、歯が痛くて、歯医者さんに電話予約しようとしたときに「お名前フルネームでお聞きしてよろしいですか?」と聞かれ、名前が言えない私は電話を切りました。
2日おきに再度電話をかけて再びフルネームを言おうとしたけどやはり言えずに電話を切ってしまい。
1週間後にようやく名前が言えるようになって予約ができました。
なんでこんなことで歯が痛いのを我慢しなくてはならないのか。
それ以上に歯医者さんからいたずら電話って思われてたかもしれませんね。笑
私、吃音っていう障害を持ってて、うまく話せないんです。と正直に言えば解決できるかと思えばそう簡単なものでもないんですよね。
私は勝手に、吃音のことを、1%の障害と言っています。
常に言葉が出せていないわけではないんです。
99%は正常に喋れているんです。
たった1%、言葉が出せなくなるだけだと、周りの方々は息の吐けない感覚に陥っている状況に気づいてくれないんです。
真剣に悩んで、打ち明けてみると、「気のせいじゃない??」「緊張してるだけ」「もっと落ち着いてゆっくり話せばいいと思う」
職場で何か問題が起きて打ち明けて見ると、「言い訳すんな」「やる気の問題」「いいから言われた通りやりゃいんだよ」
ほとんどは正常に喋れているので、いざ真剣に相談してみても理解されたことは一度もありません。
高校性のころに姉がパソコンを買っていて、インターネットというものにアクセスできるようになり、検索エンジンで検索してみました。
言葉が出せない 障害 と。
そこで初めて私が、吃音であるということを知りました。
とにかく治したかった私はどこの病院に行けば治せるのか必死に調べていきました。
たどり着いた結論は完全に治すことは、難しい、治療法は確立されていないということ。
私はどうすることもできない問題に直面しているという受け入れられない現実を知りました。
これが、私の、吃音人生の始まりでした。
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